人生の夏休み

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『嫌われる勇気』感想 難しかったので分かりやすくしてみた

 

 

 

こんにちは

 

あの有名なベストセラー『嫌われる勇気』を読みました

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

読んでて衝撃を受けました
作中で青年が言ってたように、まさに劇薬。

 

いい意味で常識を覆され、新しい考え方を提示してくれます。

 

でもめっちゃ厳しいこといってない???

あと難しくない???

と思ったので、内容を噛み砕きつつまとめようと思います。

そして自分がどこまで実践に落とし込めるのかも考えてみます。

 

 

 

 

青年について

 

まず、自分自身の立ち位置というか、
どういう人間かを確認してみようと思います。


作中では、哲人と青年との対話を通して、人生の難問・相談を交えながら、
アドラーの心理学について学んでいきます。

その中の青年がまるで自分のようで、はっとしました。


自己承認欲求が強く、でも自分を好きになれない...

さらに完璧主義の感じも会話のなかで、垣間見えます。

また、比較されながら育ってきた。

 そして彼は自分を嫌い、変わりたいと強く願っています。

 

様々な人が、彼と気持ちが重なると思います。

 

書いている自分自身もそのうちの一人です。

 

 

「トラウマは、存在しない」 目的論から自分を考える

 

 ここから作中の話に入ります。

 

 

過去についてどう扱うかという話からトラウマについての話になります。

・〇〇だから△△になったという因果律の考え方ではない

・△△するために〇〇という事柄を理由としている

と、アドラー心理学では考え、トラウマは存在してないとしているようです。

 

 

ここだけ聞くと「わかってるけど、どうにもできないから困ってるんだよ!」
と思っちゃいますが、哲人は最後にポジティブに言い換えてくれました。

 

 

これまでの人生に何があったとしても、これからの人生には一切関係ない

過去はないんだから、これからしかない。
今、気づいた時からが、人生のスタートということでしょうか

 

 

なんとなく納得しつつももやもやしていることでしょう。

自分もです。まとめながらもやもやしてるぞ!

 

ていうか厳しいな、その人には確かにトラウマとしてあるかもしれないのに...

 

 

 

「なぜ自分のことが嫌いなのか」 劣等感と対人関係について考える

 

次の夜、青年は自分のことが嫌いな理由について、哲人から核心を突かれます。

 

 

目的論で話すのであれば、

・自分を嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になることで、

 目的は、「他者との関係のなかで傷つかないこと」

 

 

うおおおおきっついな、そうだよ、そうなんだけどね!

できないこともあるんだよ...怖いんだよ

 

 

さらに劣等感・競争について話は及びます。

 

・劣等感はあくまでも主観である

・劣等感=悪ではない

・健全な劣等感は、「理想の自分」と比較して生まれる。

・競争が起き、勝者と敗者が生まれてしまうが、それがみんなが敵として見えてしまうようになるため、不幸を呼ぶ。

こういったことが語られます。

 

 

その中で印象的な一言がありました。

 

 人は、同じ平らな地平に、前を進んでいる人もいれば、その後ろを進んでいる人もいる。

 

この言葉に自分は様々な人がバラバラな方向に歩いているイメージが浮かびました。

地平は変わらなくて、どう歩いていくかも自由で、どの向きでも自由。

そんな風に考えると、肩の力が抜けていくようです。

 

 縦の軸を取り払って、みんなを仲間だと思えば、世界の見え方が変わると哲人は言います。

 

急に宗教のようになってきたな...

でも、なにかに追い立てられているような気持ちはこのイメージで、

少し軽減されました。哲人ありがとう。

 

 

人生のタスク 「仕事」「交友」「愛」

 

アドラー心理学は人生において目標を掲げています。

①自立すること

②社会と調和して暮らすこと

 

この行動ができるようになるための精神面での目標として、

①わたしには能力がある、という意識

②人々は私の仲間である、という意識を持つこと

 

 

哲人はこれらを持って、

人生において直面せざるを得ない人間関係=人生のタスクに立ち向かえと言います。

 

ハードルとしては、仕事<交友<愛の順でハードルが高いそうです。

 

そしてこれらの目標のカギは、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」にあります。

 

 

「承認欲求を否定する」 課題の分離と自由

 

アドラー心理学では承認欲求を否定しています。

褒める・褒められるの行為自体が、
上から下の立場の人間に対して行う行為であると同時に、
「褒められなければやらなくてよい」ということになるからです。

 

人に期待されているように生きるのではなく、
同じように人に期待してはいけないと哲人は語ります。

 

 

なんか殺伐としてきたな...

 

 

そこで課題の分離という方法が役に立ちます。

他者の課題と自分の課題を振り分け、他社の課題には踏み込まないという方法です。
課題の分け方は、最終的な責任を負うのは誰かで、どの人物の課題かを見極めます。

 

あらゆる対人関係は他者の課題に土足で踏み込むことで、起こります。

ここであることわざがでてきます。

「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を呑ませることはできない」

何事も強制することはできない、ということです

 

そして自由とは、嫌われることであると哲人は語ります。

自由に振舞っているからこそ、快く思わない人もいる。

嫌われているということは自由にしている証左である。

 

 

この考え方はスッと腑に落ちました。
万人に好かれるなんてものは無理だと分かっていたのですが、
それでも人の顔色を伺ってしまう自分には、
「嫌われても良くて、さらにそれが自由にしていることの証拠」だったのが、

目から鱗の考え方でした。

 

 

別に嫌われたっていいんですよ。
それは、他者の課題であり、私たちには関係のない話なんです。
そこからどう自分たちが動いていくかが重要です。

 確かにそうだ

 

 

 

 

「自分には価値があると思えるために」 共同体感覚と自己受容

 

 共同体に人間はなんでも属しています。

会社や学校、家族、社会、国家...

 

共同体感覚とは、「自分はここにいてもいいんだ」という所属感です。

アドラー心理学では究極的には、宇宙に対しても共同体感覚が身に着けられると考えています。

 

これらの共同体に貢献し、感謝の言葉を聞いた時、価値があると思えるのだそうです。
そして、人は、自分に価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる。

勇気を持てば、自ら変化していくのです。

 

さらに存在というレベルで見れば、みんな価値があり、感謝できる...

「行為」ではなく、「存在」に価値を見出すのです。

 

 

悟り開いてるな、これ!!!!

当たり前になっているから、そんな風になかなか思えないけど、

危篤状態の人が例に上がっていて、それを考えると分かるような気がする...

 

 

 

自己受容という考え方が哲人により、語られます。

これは、できないならできないことを受け止め、どう改善していくかという考え方です。

「ほんとはもっとできるんだ」と考えるのは、自己肯定です。

 

 

いったん受け入れる、というワンクッションを入れるわけですね。

 

そして他者信頼・他者貢献が重要になります。

 

 

「ダンスするように生きる」 幸福とは何か

 

・幸福とは他者への貢献感である

・そして貢献感をもっていれば、それでいい

・他者から貢献感を得ることとはノットイコールである

→承認欲求を否定している

 

人生はずっと線になっていて、大きな目標を達成するために生きていると
思っているひとが多くいると思います。自分もその一人でした。

 

しかしアドラー心理学では、人生は点の連続である。

そして点を全力で生きる、ダンスのようにその刹那に集中することが大切であると哲人は語ります。

 

そして、「他者に貢献するのだ」という部分を見失わなければ、迷うことはないし、何をしても良い

 

 

とまあそういうことらしいです。

めちゃ長くなりました。

 

 

 

 まとめ 自分に何ができるか?

 

ここまでまとめたけど、話がざっくばらんで分かりづらいですね。

順番入れ替えたら、分かりやすくなりそうですね。

 

ともかく、自分には何ができるだろうと考えてみました。

そうすると3つになりました。

 

・課題の分離をしてみる

  自分で変えられることと変えられないことを考える

 

・自己受容をしてみる

  ワンクッション置く

 

・他者貢献について考える

  他者がこうしてくれるから、というのではなく自分がどうしたいかで考える

 

これならやれそうな気がします。

幸せになるには勇気が必要だそうです。

 

自分は承認欲求が強くて嫌になる時があるんですが、

これで克服できるか、やってみます。

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

ではまた!